地域を知る・あそぶ・つなぐ 港まちカルタ

近所づきあいが少なくなってきている昨今。皆さんは、自分の暮らす町のことをどれくらい知っていますか?「防災は町を知ることから」との思いから制作された名古屋市港区の「港まちカルタ」は、災害の記憶や町の情景を遊びながら感じ取ることができます。

町を歩いて作られたカルタ札

戦後まもなく、名古屋港の玄関口として栄えた港区・西築地学区。入港する貿易船の船員で人が溢れ、劇場や喫茶店など娯楽も多かったそうです。今も昭和の雰囲気を色濃く残した街並みが広がっています。

ご当地カルタを制作したのは、同学区でまちづくり事業を行う「港まちづくり協議会」。地域の歴史や文化、日々の暮らし、祭りなど“この町ならでは”の事柄を題材にし、「防災」の取り組みとして企画されました。

カルタ札は、市内の学生と協働で制作。読み札の句を考えたのは、愛知淑徳大学ビジネス学部でまちづくりを学ぶ学生たち。地域の人に伺った話をもとに、下の句の始まりの文字が「あ」「い」「う」…となるよう句をつくり、老人クラブを中心とした皆さんと検討し、44枚を完成させました。絵札は、名東高校の美術部員が担当。写真を見るだけではなく、読み札の風景を実際に歩いて描き上げたそうです。特徴的な札をいくつか紹介します。

 

 

過去の記憶や日常の風景まで

「歴史的 みなの心に残ってる いつも見ていた はねあげ橋よ」(写真右)

名古屋港の「跳上橋」は、1927年に臨海鉄道の貨物列車の引き込み線の一部として造られました。当時は頻繁に開閉し、跳ね上がった橋の下を船舶が盛んに行き来していたそうです。

 

現在の跳上橋(港区千鳥2-4-1)

輸送手段の変化などによって、臨海鉄道は廃線。1987年からは跳ね上がった状態で保存されています。1999年には国の登録有形文化財に登録。日本に現存する最古の跳ね上げ橋は、町のシンボルです。

 

「濁流が 街まで押し寄せ 危険だね 語り継がれる 伊勢湾台風」(写真右)

1959年9月の伊勢湾台風。高潮が名古屋港の防潮提を乗り越え、同学区は大きな被害を受けました。あっという間に水が来て屋根に逃げあがったことや浸水した町の様子など、実際のエピソードから災害の悲惨さが伝わります。しかしこの辛い記憶を、悲観的ではなく明るくしっかりと語り継ぐ町の人たち。いつ来てもおかしくない災害への心構えや被災を乗り越える力強さを学ぶことができます。

 

「災害は予測できない 日ごろから ルートは確認 命をつなぐ」(写真左)

防災カルタとはいえ、防災意識を高める内容ばかりではありません。誰もが楽しめるよう“遊び”の要素が重視されていますが、この札のように「私たちにできることはあるかも」と自然に防災を考えるきっかけとなる工夫が凝らしてあるのも特徴的です。

 

 

カルタが人をつなぐツールに

札を読む同協議会事務局の古橋敬一さん

お披露目を兼ねて行われた「港まちカルタ大会」は28人が参加。予選から老若男女問わず大盛り上がりでした。名古屋港水族館のシャチの札を勢い良く取る子ども。「あの頃は路面電車が走っていてね…」とデートの思い出を語る人。「ビールの札は取りたかったわ~」なんて笑い声も。

 

 

「あの頃は 皆で分業 働いた 縫うに精出す お針子よ」(写真左)

名古屋港ガーデンふ頭の一帯は、昔は船から荷物を積み下ろしする作業場で、この札は穀物の入った大袋の口を手で縫っている様子なのだとか。当時を思い出しながら絵札の解説に夢中になる人もいました。

 

カルタという誰でも楽しめる遊びから町を知り、普段ゆっくり話せないことを語り合う時間が生まれました。戦争や災害など目を背けたくなる歴史も、カルタを通じてフラットに考えるきっかけとなります。

災害など“いざ”という時の連携は、こういった日常の交流から続いていくのではないでしょうか。まずは、自分の町に関心を持つことが身近な防災の第一歩。そんな心持ちで、いつもの町を歩いてみては。

 


港まちづくり協議会

http://www.minnatomachi.jp/